dango-ryo’s blog

滋賀県在住30代おっさんの日記的なもの。個人的なメモみたいなものなので、間違ったことも書くと思いますが、優しい目で見ていただければ幸いです。

180429比叡山・延暦寺

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180429
妻の両親と比叡山延暦寺に行ってきた。

ケーブルカーに乗るため、坂本へ向かう。坂本駅近くの駐車場が空いていなかったため、とりあえず、腹ごしらえ へ。

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本家鶴喜そば。江戸時代より続く名店で立派な建物。比叡山に来たらコレ!というぐらい有名なお店らしく、10:30の時点で ほぼ満席だった。お味は もちろん美味しかった。

 

結局、駐車場は大津市大宮川観光駐車場という駅から少し離れたところに駐めることになった。ケーブルカーに乗る前に30分程 散策しようということで、近くにあった旧竹林院という里坊を拝観。

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ここは延暦寺の僧侶の隠居所で、2階建ての立派な主屋に、三宮宮と牛尾宮が建つ八王子山を借景にした見事な庭園、東屋なんかもあったりして、えらく良いところにお坊さんは住んでたんだなと驚いた。

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ケーブルカーは通常30分間隔で運行しているが、この日はG.Wということで15分間隔に変更されていた。たいした待ち時間ではないので、座れるように ひとつ見送ってから乗車した。ちなみに、この比叡山坂本ケーブルカーは全長2,025mで日本一の長さを誇り、ケーブルカーには珍しく中間駅がある。中間駅で降りる場合は、事前に伝えておく必要があり、また中間駅から乗車する際は駅に設置された電話で連絡する仕組みらしい。実際、帰りに中間駅から乗車してくるハイカーさん?がいた。この時、反対側の車両も停まっているんだろうな...

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乗車時間10分ほどで、比叡ケーブル駅に到着。ここから徒歩10分ほどで比叡山・東塔へ。

 

西国三十三所の番外札所(非公式?)ということなので一応 根本中堂の御朱印だけ頂くため、まずは受付へ。ここ比叡山は先に御朱印帳を渡し、待ち時間の間に根本中堂を参拝、その後、御朱印帳を返してもらうという変わったシステムを採用してる。

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根本中堂は現在 平成の大改修ということで外観は鉄骨で覆われていたが、中は拝観可能。これまで2度、自転車のヒルクライムレースで比叡山を訪れたことはあったが、中に入るのは初めて。想像以上に中は広い。外陣より低い場所にある内陣にある御本尊・薬師如来様の厨子を拝ませていただいた。

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他にも文殊楼、大講堂、国宝殿、戒壇院、阿弥陀堂など東塔をくまなく散策したが、とにかく人が多い。人が集まるところには気?パワー?が宿るのか、大きいお寺に行くと力を貰えるように感じることが多いんだけど、延暦寺は逆に力を吸い取られたように感じた。ただ単に歳を取って人混みに疲れただけか...

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山を降りたあとは、日吉大社も参拝させていただいた。
神社も厳かで良いものだなぁ...でも、神道って、いまいち わからないんだよな。勉強不足

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比叡山
延暦寺
宗派:天台宗(総本山)
御本尊:薬師如来
創建年:延暦7年(788年)
開基:最澄
最澄
延暦4年(785年)、20歳で奈良の東大寺で受戒し、正式の僧に。
延暦7年(788年)、現在の根本中堂の位置に薬師堂・文殊堂・経蔵からなる小規模な寺院を建立し、一乗止観院(比叡山寺)と名付けた。(弘仁14年(823年)最澄の没後、年号をとった「延暦寺」という寺号が許される)時の桓武天皇最澄に帰依し、比叡山寺は京都の鬼門(北東)を護る国家鎮護の道場として次第に栄えるようになった。
延暦23年(804年)、遣唐使船で唐に渡った最澄は、霊地・天台山などにおもむき、天台教学や密教、禅を学んだ。
延暦24年(805年)、帰国した最澄は、天台宗を開いた。法華経を中心に、天台教学・戒律・密教・禅の4つの思想を日本に伝えたので、延暦寺は総合大学としての性格を持っていた。
この当時、戒律を授ける国家公認の戒壇院は奈良の東大寺など日本に三箇所しかなく、仏教の僧侶は国家資格のようなものだった。この時の最澄はこうした奈良時代以来の体制、また国家と密接に結びついて俗化してしまった奈良仏教に改革を唱え続け、最澄没後7日目にして、比叡山に国家公認の戒壇院が設けられることとなり、奈良仏教とは独立した組織で僧侶を養成することが出来るようになった。
こうして、俗化した奈良仏教に対抗して開かれた比叡山も時が立つと同じように俗化が進み、こうした風潮と一線を引き、真面目に仏教の修行に取り組んで比叡山を飛び出したのが、浄土宗の開祖・法然浄土真宗の開祖・親鸞臨済宗の開祖・栄西曹洞宗の開祖・道元日蓮宗の開祖・日蓮など。これらの宗派が生まれたおかげで国家や貴族のものだった仏教が庶民にも広がることになった。
その後は、力を持ちすぎて一種の独立国家のようになったため、織田信長に焼き討ちされるなどなど、比叡山は日本の仏教・歴史に深く関わっているので、調べてみると かなり面白い。